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人生もポタリング

人生も、自転車をこいでブラブラ、ゆっくりそして色々な処に立ち寄りように過ごしたいもの。

佐賀県伊万里湾を走る (2015/03/24)

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佐賀県伊万里湾を走る (2015/03/24)

  ルート: 浦ノ崎駅ー小学校時代の友達宅ー山代西小学校ー運動場ー山代中学校ー伊万里駅

【目的】
 多感な少年時代を過ごした場所(家、小学校、友人そして中学校等)を嫁と共に約50年ぶりに訪ねる。

【感想】
 十代前半をすごした処に着くや、約50年前の記憶を元に、小学生の悪友の家を探すことにした。遠い遠い記憶が友の家を探してくれた。彼はそこのは居ず、育てのお母さんにお会い出来、彼の不幸な生い立ちを聞く。今は、体を悪くし歩くことも出来ない状態と聞く。
 当時としてはハイカラなコンクリート作りの住みかを訪ねる。フローリングを床も廃墟と化していて、見る陰も無い。向山炭鉱廃坑前に住んだ家族5人と愛犬の思い出がのこる。
 小学校を訪ねる。この地、浦ノ崎の話を聞く。ここは、「人間魚雷」を製造していた軍港「川南工業浦ノ崎造船所」跡だった。そういえば、小学校時代3件あった映画館のどこかで人間魚雷を題材にした映画を学校で見に行った記憶がある。その軍港も、自分の親戚の炭鉱「樋口工業株式会社配下の向山炭鉱」に引き継がれてゆく。自分はそこで小学校3年生から中学校3年の1学期までの約7年間を過ごした。ここから、約12年間の不安な青春時代が始まった。一人の田舎者が大都会東京へ出て行く。

【味・見所】
 人間魚雷製造の元軍港。


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浦ノ崎駅ー小学校時代の友達宅ー山代西小学校ー運動場ー山代中学校ー伊万里駅

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多感な少年時代を過ごした場所、浦ノ崎(川南元造船所)

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詳細な軍港の話は知らず、跡地で、毛蟹を捕まえたり、鯵、鱚そしてぼらを釣ったものだ。蟹も多く生息していた。上流の川では、鮎、白魚そいてうなぎを採った。うなぎは石を積み上げた箇所に多く集まったものだ。

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対岸へ泳いで渡る勇敢な友もいた。そして、夏の御盆には多くの鐘楼が悲しく波に揺られていた。人間魚雷で亡くなっていった人の霊だったんだろう。今思うと。 目の前でタツノオトシゴを見たのもこの港である。

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繁殖時には、赤い蟹が道路を覆いつくす程に海そして川から岡に目指す。川に近い我が家にも当然やって来た。今もそうであろうか?
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プロフィール

HN:
岩下照房
性別:
男性
自己紹介:
「人間が出来て、何千年になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生まれ、生き、死んで行った。私もその一人として生まれ、今生きているのだが、例えていえば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても生まれては来ないのだ。しかも尚その私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。それで差し支えないのだ」(志賀直哉「枇杷の花」)

P R