福岡旅行(2016/03/11)3日目の11日コース :
甘木ホテル~古賀(こがん)峠~比良松~万徳寺~恵蘇の宿~黒川「共星の里」 (41.3km)
【目的】 母の墓参後、「共星の里」へ行く。
今日は、母の墓参を住ませて、共星の里へ行く。途中、菩提寺「
万徳寺」へ寄る。1997年11月、母と訪れたとき住職から5代前の過去帳を見せてもらい先祖の由来を聞く。祖父方は金剛家系の刀鍛冶で大宰府にあおの遺跡がある。そして、祖母方は秋月藩獣医日野家、日野甚左衛門の娘で、今でも黒門の前に住居があるらしい。
朝倉市役所図書館による。朝倉市の古文書を調べる。図書館の柱に
山本の写真が掲げてある。
ユネスコの記憶。 「
坑道の記憶~炭鉱絵師 山本作兵衛」予告編
朝闇山(ちょうあんざん)万徳寺 朝倉市三連水車を目指す。これは
山田堰と呼ばれる土地改良技術と深く結びつい、この技術はアフガニスタンの水事業に寄与しているらしい。
朝倉市三連水車
【夢・クルーズ】#53 三連水車
朝倉市三連水車(山田堰から筑後川の水を引く) 母のお墓参りへ行く。今日3月11日東北大震災の日の翌日が母の命日。お墓からは耳納連山(みのうれんざん)が一望できる。そして、手前には有名な朝倉富有柿畑と筑後川とその筑後平野が見える。この地区は、畑作と麦作が多く、焼酎の未産地でもある。ジャーナリスト
鳥越俊太郎さんは今地で生まれている。
耳納連山(みのうれんざん) 『十訓抄(じっくんしょう・じっきんしょう)』は鎌倉時代に作られた年少者向けの説話集。
『十訓抄』には、天智天皇が母親である斉明天皇の喪に服していた様子と朝倉で詠んだ歌、そしてその歌が後世に素晴らしい・めでたい曲として伝えられた様子が描かれている。天智天皇が斉明天皇の喪に服していた時、朝倉の山中に黒木で建物を造っていらっしゃったのを「木の丸殿(このまるどの・きのまろどの)」といいます。それは、刈りだしたままの丸太でつくっていたからです。
百済が新羅からせめられ、救済を斉明天皇に求めた。そこで、斉明天皇は数日間朝倉に遷都してその準備した。しかし、斉明天皇は病死した。その子である天智天皇が上記した「木の丸殿(このまるどの・きのまろどの)」に喪に服した。
参照さいとと恵蘇八幡宮
恵蘇八幡宮
母方ルーツの地そして私の生まれた地でもある恵蘇の宿から16時30分頃、「共星の里(黒川:父方ルーツの地)」に無事到着。柳アート・ディレクターの出迎えを受ける。
玄関前での出会い撮影。柳さん元気だ。